ウズベキスタンは親日を超えた愛日国です。
   


ウズベキスタンを訪れた人の多くが口を揃えて言うのはその親日ぶりです。街を歩いたり、バザールや歴史的建造物を観光に行くと、日本人だとわかるとみんな笑顔で迎えてくれます。カメラを向けると、笑顔で応じてくれ、一緒にファインダーに収まってくれたり。
中には、レストランやパン屋さんでは厨房に入ることを許可してくれて、伝統料理の作り方を教えてくれることもあるそうです。

なぜ、ウズベキスタンの人たちが日本人に友好的なのか。
それは、ある日本人たちの生き方がウズベキスタンの人たちに感動されたからです。




1966年4月26日、ウズベキスタンの首都タシュケントを78000棟の建物が倒壊する大地震が襲いました。その時、ウズベキスタンを代表するオペラ劇場、ナヴォイ劇場は無傷でした。
この劇場を仕上げたのが日本人でした。
当時、第二次世界大戦で捕虜となりシベリアに抑留されていた日本人457名がタシュケントに派遣されたのです。
彼らの仕事ぶりは真面目で丁寧ということで評価されました。
また、人間として、職人としての誇りを失わなかったそうです。
例えば、こんな日ソードがあります。
日本人捕虜の疲れた姿を見かねた子供達がこっそり食料を差し入れると、翌日その場所に、精巧に作られたオモチャが置いてあったと言います。
こうして3年かかったと言われた作業が二年足らずで完成しました。
ナヴォイ劇場の建設に関わった人々はその後も、様々な建築やインフラの工事に従事し、日本に復員しました。
彼らの合言葉は「生きて日本に帰って、必ず桜を見よう」でした。
1966年、ウズベキスタン大統領イスラム・カリモフが、建設に関わった日本人を称えるプレートを劇場に設置しましたが、その時「日本人は恩人だ、間違っても捕虜と書くな」というものでした。
この、戦後の活動がウズベキスタンの人々に高く評価され、今日の親日感情の礎となっています。
現在、タシケント市内には日本から寄贈された桜の木で作られた「桜公園」が名所となっています。





2016年9月11日、ウズベキスタンで発掘中に倒れ、テルメズの病院で亡くなった日本人がいます、加藤 九祚。その死は世界で大々的に報じられました。特に、ウズベキスタンでは「国民にとって大きな損失」と報道されました。
加藤 九祚は文化人類学者でシルクロード研究、仏教遺跡の考古学発掘調査でも世界的な研究者でした。
加藤 九祚が発掘を始めたのは65歳の時。
普通でいうと引退の年であるが、「人生にもう遅いはない」と発掘に邁進していきました。
最初に赴いたのがウズベキスタンのアフガニスタンとの国境近くのテルメズという地区。西遊記で三蔵法師がここを通ってシルクロードを渡りインドに行き仏教の経典を中国に持ち帰ったという場所。加藤 九祚は三蔵法師の足跡となる遺跡を発掘します。
その後、ウズベキスタンの文化や歴史、遺跡を日本に紹介。
ウズベキスタンの中でも有名になっていきます。

ウズベキスタンの小学校の教科書にはこう記されています。
「はるばる日本がやってきて・・・考古学的発掘に従事している加藤九祚氏について聞いたことがあるかもしれない。彼の犠牲的精神に富む、広範な知識は、われわれの歴史全体や古代の遺跡のみならず、文化的・精神的遺産にも深い理解を示している。・・・実り多い成果をあげたことにより、ウズベキスタン共和国大統領令に基づいて「友好」勲章をさずけられた」 加藤 九祚の学究携わるひたむきな生き方ががウズベキスタンの人々に日本人への好印象を作っていったのでしょうね。


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